元々は万春宮蘇府王爺廟として知られていましたが、日本統治時代の昭和3年(1928年)に公会堂として改築されました。光復後は「中山堂」と改名され、一時的に老人会館として利用されました。屋根の梁組みは木製の架構に鋼の桁組みを組み合わせ、上にはセメント瓦が敷かれています。山壁部分は竹で編まれた壁に泥を塗った仕様です。左側の壁には「鹿港公会堂記」という木製の碑があります。これは当時の「櫟社」社長である傅錫祺が執筆し、鹿港の名士である莊太岳が書いたもので、建設の経緯や地元名士の寄付に関する文章が記されており、重要な文献となっています。